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2021年夏に第一子を出産しました。 恋愛のこと、仕事のこと、日々の思いごとの記録です。

2_初婚の話_結婚してから_1

こんにちは。raf(ラフ)です。

今日は生憎の雨で引きこもりです。


今回は結婚してからのお話をします。
まず、私自身の話から始めます。私は結婚してからも仕事を続けるつもりだったのですが、ある日から徐々に職場に行くのが苦痛になってしまい、結婚後苦痛がピークに達ししたため、寿退社をすることにしました。


そのあることとは、3.11です。私は北のほうから上京し都内に勤めていました。私は帰宅難民になり電車を乗り継いで歩いて帰ったのですが、帰宅しテレビをつけて愕然としました。涙があふれて震えが止まりませんでした。私の家族や友人は無事でしたが、ニュースを見るたびに心が痛みました。とても他人事とは思えず苦しかったです。


そんな中、職場の人から「自分の家族が無事ならいいじゃない。どうしてそんなに気を落とすの」と言われて傷つきました。正直に「友人の親戚が見つかっていない」と伝えると「遺留品のHPあるよ。見てみなよ」と言われ、遺留品は遺品というイメージが先行した私は「遺留品なんて言わないでください」と憤慨してしまいました。友人にそんなHPを勧めることも、自分がそういうHPを見るのも怖かったですし、本当にそっとしておいて欲しかったのです。


それからしばらくして、放射能の問題が大きく取り上げられるようになりました。東北のお土産は受け取らない、原産地を教えてくれ、という人も職場にいました。そういう発言が聞こえてくる環境で働くことに抵抗を感じました。東北が大変だから今の仕事を大切にこっちで頑張る!という気にはならず、こういう人たちと働きたくないという気持ちが勝っていました。当時の私は20代前半で今以上に感情に正直でした。


「東北が大変だから御馳走するよ」とか「元気がないから飲みに行こう」と誘ってくださる方もいたのですが、飲んで騒いだりカラオケで楽しく歌ったりする気にもなれず、誘ってくださる方と顔を合わせるのも嫌になってしまいました。同年代の方が周囲にいなかったので、年上の方に相談すると「誘われるうちが華なのよ」と言われてしまい、職場での雑談も億劫になってしまいました。(30歳を過ぎた現在も、『誘われるうちが華だ』なんて思えないので若さに執着がないタイプなのかも)とにかく今以上に繊細で未熟でした。

 

そして、元夫に「仕事を辞めたい」と伝え仕事を辞めました。元夫の給料は私を養うのには十分だったので辞めるのはスムースでした。

心身の休養が済んで「無理ない程度にまた働きたい」と夫に伝えたとき、「働くのは良いけどもう正社員にはならないで欲しい。愚痴を聞くぐらいなら生活費出して家事をしてもらったほうが良い」と言われました。
当時はこの言葉に守られているという感動を覚えたのですが、今思うと、私の社会との関りや幸福に興味がなかったんだろうなと思います。元夫はにこにこと家事をして食事を提供して欲しいという気持ちが強かったのだろうなと思います。

それを痛感する出来ことが起こります。

 

ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回に続きます。