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2021年夏に第一子を出産しました。 恋愛のこと、仕事のこと、日々の思いごとの記録です。

14_バツイチの話_年下との出会い_2

おはようございます。raf(ラフ)です。
現在、いつ赤ちゃんが産まれてもおかしくない正期産の時期なので、もし更新が止まったら出産を迎えたと思ってください!(笑)
今回はバツイチになってからのお話の続きです。
年上としか恋愛経験がなかったのですが、年齢を気にせず恋愛をするようになります。

年齢を気にしなくなるきっかけ_②

私は元夫との離婚を決意してから、通信の社会人大学に入学しました。
興味のある資格を取って、一人で生計を立てれるように(元夫が無職になった経験から、最悪一人で子育てできるようにとも思っていました)なりたいと意気込んでいました。
その大学は単位を全て通信学習で取得できるのではなく、実際に会場に赴いて講義を聞く必要もありました。スクーリングというものです。
私は離婚後に出席したスクーリングのディスカッションで、23歳の男の子と同じグループになりました。
見た目が18、9歳に見えるのですが、話を聞くと社会人のようだし、他の人の意見を尊重できたり、言葉の端々に優しさがあり、好青年だなと思いました。
失礼ながら、10代~20代の男子はもっとチャラチャラしているものだという先入観があったので。
ディスカッションの後、その男の子は隣の席だったのですが、おっちょこちょいなようで、講義の時に開いているページが違ったり、消しゴムを忘れたりしていました。
彼にページを教えたり、消しゴムを貸したりすると、恥ずかしそうに笑っていました。
休憩時間、彼とすれ違ったときに唐突に「何歳なんですか」と聞かれました。
劣等感の強かった私は、おばさんが社会人大学に通っている、とからかわれていると勘違いして「30歳、バツイチ。そんな風に年齢聞かないでよ。失礼だよ」と言ってしまいます。
彼は「えっ、あの25歳ぐらいだと思って。少し上ぐらいかと思って。失礼しました」と慌てていました。
私は恥ずかしくなって「ごめんなさい。気にしないで」と外に出かけました。
近くの公園でブランコを漕いで戻ると、彼に「どこに行っていたの?」と聞かれ、「公園。ブランコ漕いでた」と答えると笑われました。
それから、彼に「仕事のことで相談したい」と言われたので、電話番号を伝えました。
彼に「LINEは?」と聞かれ、離婚後にLINEやSNSのアカウントを全て削除していたので、「離婚をきっかけにやめた」と伝えると「そうですか」と言っていました。
後で彼から言われたのですが、ブランコに一人で乗ったり、LINEを消したりするなんて明らかに病んでる、と思ったそうです。
明るいけどこの人病んでるなー、と思ったそうです。

この彼との交流を通じて、一人で頑張らないと!と意気込んでいた私の心は徐々にほぐれていきます。

ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回に続きます。

13_バツイチの話_年下との出会い_1

おはようございます。raf(ラフ)です。
今回は、離婚してからについて書きます。
バツイチになってからの恋愛についてが主です。

年齢を気にしなくなるきっかけ_①

話は離婚届の提出までさかのぼります。
友人に離婚届の証人欄のサインをしてもらったときに「今まで旦那が近くにいたから変な虫つかなかったとは思うけど、知らない人について行っちゃだめよ」と言われました。
小学生じゃないのだからと思っていたのですが、離婚届を出した日に男性から声を掛けられ、私はついて行ってしまうのです。
すれ違った男性に追いかけてきて、すごく真剣な面持ちで、「すみません、時間ありますか」と言われ、「アンケートなら断ります」と答えたら「お話がしたくて」と言われたのです。
ナンパされる経験もないし、まさかどうみても年下の子が30歳の私に声をかけるとも思っていなかったので、悩みがあったり自殺でも考えたりしているのかと思ったんです。(大真面目に)
「何か困っていることあるんですか?」と聞くと、「声をかけないと後悔すると思ったんです」と言われ、私はますます心配になりました。(バカ)
それで、ついて行ってしまうのです。
ただ、ほんとうによい子だったので、個室とかではなく、開けた場所のベンチで話しましょうと提案されます。
会話の中で、彼が25歳であり、わたしを大学生と勘違いして声をかけたことがわかりました。
仕事がうまくいかなくてもやもやしていて普段なら来ない駅で降り、私を見かけて話してみたいと追いかけたそうです。
私と話したいと思ったのは、すごく健康的でキラキラしていて笑顔が良いと思ったからとのこと。
離婚届を提出してるんるんだったんでしょうね。
彼に離婚届を出したばかりだったこと、離婚した理由、30歳を過ぎているのでまた恋愛ができるのか、子どもをいつか授かれるのか考えてしまうことを話しました。
彼は、「まだ自分には子どもや結婚は考えられないけど、お姉さんなら年下の素敵な恋人ができると思います。年齢関係ないですよ」と言いました。
そして、「キャバクラ行くよりすっきりした。話せてよかったです」と笑っていました。
私は「キャバクラ行くより彼女作りなよ」と言うと、「いまは彼女作る気持ちの余裕がないんです」と言います。
「私に声かけたくせに」と私は突っ込んで、二人で笑って別れました。

私は子どもを持たぬまま30歳になったことを激しく後悔していたのですが、少し前向きに自信を持っていろいろなことを楽しんでみようかなと思いました。
帰宅し、まだ引っ越さずにいる元夫にこの話をすると、「rafはかわいいからまだまだいけるよ」と呑気に言われました。(私は誰のせいで30歳の自分を悩むせいになったと思っているんだ!と心の中で憤慨しました)

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次回に続きます。

12_初婚の話_離婚_3

おはようございます。raf(ラフ)です。
今回は、離婚してからについて書きます。
離婚を考えている方の参考になれば幸いです。

離婚後の新生活

私は元夫が引っ越した後、模様替えを始めました。
自分が心地よい生活をしようとあれこれ考える中で、元夫が置いて行った家具や元夫に購入してもらった服の処分をすることを決めました。
ほとんどのものを元夫に購入してもらっていたのですが、自分が欲しくて買ってもらったものは僅かでした。
購入のリクエストをする際に自ずと元夫の好みに合わせていたため、一人になるとしっくりこないものが多かったのです。
本当は一度に処分をしたかったのですが、一度に処分すると生活ができなくなってしまうほど、元夫が購入してくれたものが多かったです。
不要なものは譲ったりフリマに出したりして、貯金を削りながら少しずつ入れ替えました。(納得できる買い替えが終わるのに1年ぐらいかかりました)

こうやって新生活を楽しもうと思ったのですが、家に一人でいるということが久しぶりすぎて生活に違和感がありました。
また、18歳から付き合い、24歳で結婚し、30歳で離婚するまで12年の付き合いだったのに、子どものことが叶わなかったことがすごく悲しく感じ、夜になるとよく泣いていました。
さらに、元夫の忘れ物が出てきたため、連絡を取る必要があり、連絡を取った際に元夫も寂しかったようで、お互い「いつかやり直せるかもね」なんてやり取りをしてしまいます。
そして、いざ元夫が書類を取りに来た時に、その顔を見たときに、「無理だ」と思ったのでした。
寂しさで思い出は美化されますし、顔を合わせなければ都合よく相手の顔を浮かべて顔を合わせたら思いもしないことを言えるのだなと思いました。
元夫は私が一人でやっていけないことを期待して、Twitterを見ていたり気にかけたりしていたとも言いました。
さらに、私の新車が納車されているのを通りがかりで見て、隣に乗せてもらおうかなとも思ったとも。
私はそれを聞いて、ぞわぞわしましたし、しっかりしなくては!と思いました。
そして、全てのSNSのアカウントを削除して、LINEもアカウントを削除して、ショートメッセージとメールだけの生活を始めます。
このとき、全てを拒絶するように削除したことを周囲の人々は心配していたそうです。

ただ、ここから再度LINEを始めるきっかけがあります。
年下の男の子と出会うんです。

やっと少し明るい話ができそうです。

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次回に続きます。

え_絵本の話_ながぐつをはいたねこ

おはようございます。raf(ラフ)です。

今日はちょっと横道にそれて、過去ではなく現在のお話をしたいと思います。

以前『100万回生きたねこ』(佐野洋子作・絵)を読んで夫が号泣した話を書きました。

raf-raise-a-family.hatenablog.com

その後、すぐに夫は「ねこの話で楽しい絵本を読んで欲しい」と『ながぐつをはいたねこ』(絵:飯野知好 著:末吉曉子)を購入しました。
夫が購入したのはこちらです。

bookclub.kodansha.co.jp

ページは厚手でしっかりしていて子どもがはしゃいで指をさしたり、万が一叩いたりしても、壊れないだろうと思いました。また、角が丸いのでめくるときに指に刺さらず安全に読めると思いました。
絵もくすっと笑ってしまうようなテイストで、表紙ではほぼ二頭身の猫が大きくなったり伸びたりして楽しく読めました。
賢いねこの楽しいお話です。

夫に頼まれて読むと、夫は「赤ちゃんに読むときに一緒に聞く。楽しかった」とご満悦でした。
私が登場人物に合わせて声を変えて読んだのも面白かったようです。
生まれてくる子も楽しんでくれると嬉しいです。

ちなみに新装版も出ているようです。

bookclub.kodansha.co.jp


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11_初婚の話_離婚_2

おはようございます。raf(ラフ)です。
今回は、離婚について書きます。
離婚を考えている方の参考になれば幸いです。

離婚

元夫が車を売ったお金を頭金に新車を購入し、インターネット回線の名義変更もし、離婚をしたのですが、元夫の転居先がまだ決まっていませんでした。
元夫は全く焦る様子もなく家探しをしていたので、私は「引っ越し先は決まったのか」「いつ出ていけるのか」「一か月後には出て行って欲しい」と伝え、元夫の荷物を一か所にまとめ、家具の整理の話をします。
家具については、元夫が気に入って買ったドラム式洗濯機やテレビ、食器棚などは置いていくとのことでした。
この後、新生活のために心機一転で、元夫が置いて行ったものの大半を処分することになったので、きちんと処分してもらったほうが良かったなというものもありました。

離婚をすると決めてから、私は自分の今後のために資格を取ろうと通信の大学に入り、勉強を始めていました。
元夫と同じ空間にいるのが苦痛だった私は、仕事から帰ると漫画喫茶に行き、個室にこもって勉強をしていました。
離婚届を提出してから約1か月後、「早く出て行ってもらいたいようだから決めてきた」と元夫はアパートを契約してきました。
彼がどうやって引っ越したのかは覚えていないのですが、私が不在のときに荷物を運んだのか、近所だからと自分で運んだのだと思います。
元夫が転居し、合鍵を返してもらい、ひと段落したと思いました。

が、私の心の弱さや書類で必要なものがあったりして、離婚後も数回元夫と顔を合わせます。

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10_初婚の話_離婚_1

おはようございます。raf(ラフ)です。
今回は、離婚について書きます。
離婚を考えている方の参考になれば幸いです。

 

 

離婚に向けて動き出す 続き

離婚を決意したものの、元夫の仕事や転居先が決まらず、私は「私の引っ越し先に一緒に来る?」と提案をしてしまいます。
私が世帯主となった、今までの家の半分ほどの面積の新居で二人暮らしが始まるのですが、子どもについての話し合いは相変わらず平行線でした。
「子どもを作らない代わりに旅行に行きたい」と伝えても、「休日は寝ていたい」と寝ていたり、仕事から帰宅したら株をしていたりして、会話は減っていました。
そして、「いまの生活と以前の生活どちらが好き?」と聞いてみると、信じられないことに「今の生活のほうがよい」という答えが返ってきました。
生活費もかからず、好きなことができて彼は幸せのようでした。
また、「子どもができても社会と関わるのは子ども自身で自分は社会と関わるつもりもないし、将来は森に住みたい」ということを言います。
「基本的に私と二人でいられれば良い」とも。二人でいたい、というのは今までは良い意味で捉えられていたのですが、子どもが欲しい私にとっては縛られる鎖のように感じました。
そして、引っ越して半年が経たないうちに、わたしは離婚を決心します。

離婚を切り出す

私は元夫を喫茶店に呼び出し、離婚したい旨を伝えます。
元夫はこの時点でも私がまだ一人暮らしをできるとは思っていなかったようなのですが、私は「子どもが欲しい」「これ以上待てない」というのを伝えます。
「子どもはいつかは欲しいと思っているけど、待てないなら仕方がないね」と言い、元夫は一人暮らしのできる仕事探しを始めます。
株をしたいと大手企業を退職してからは、単純作業の給料が安い仕事をしていたのですが、今回は新卒で就いたような頭を使う仕事を探していました。
「どうして仕事探しをするのか」と聞くと、「現在の仕事では一人暮らしができないから」と言われ、驚愕しました。
今までの仕事はなんのためにしていたのか、家計のためではなく自分の小遣いのためにしか働いていなかったのだろうなと思いました。

離婚前の手続き

婚姻関係のあるうちに、インターネット回線契約の名義変更、車の売却をすることにしました。
インターネット回線は私も使用していたので名義変更を行いました。
車に関しては元夫が「一人暮らしではローンを払えないから、farが乗るなら名義変更をする」と申し出ました。私は元夫が乗っていた車ではなく自分が乗りやすい新車が欲しかったので、車を売ったお金で新車を買うことにしました。
納車の日、運転が不安だから練習に付き合って欲しいと伝えると、「婚姻関係が続くならいいけど、そうじゃないなら練習に付き合う気はない」と言われ、そういう人だったのかと思い知りました。
今までありがとう、という気持ちはないのね、と。

離婚

全ての手続きが終わり、離婚届にサインをしてから、とんでもないことを言われるのです。
「別にrafが40歳過ぎて子どもができなかったとしても自分は構わない」と。
「いつか」「いつか」と言っていたのはその場しのぎの言葉だったのだと痛感しました。
さらに、「社会と関わりたいと変わったのはrafだから。自分は最初から何も変わっていない」と言われました。
彼が大学院生からのお付き合いでしたが、学生から社会人になっても、彼氏から夫になっても、この人は何も変わらないのだろうなと思いました。
そして、この時点でまだ元夫の転居先は決まっておらず、離婚しても元夫はまだ私の家にいました。

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9_初婚の話_離婚活動_4

おはようございます。raf(ラフ)です。
今回は、離婚活動の続きを書きます。
離婚を考えている方の参考になれば幸いです。

 

 

就業③続き

3か所目はシフト制で、年末年始などの連休がない代わりに月10日-12日程休みがありました。
正社員で働くのが久々な私には激務に感じましたが、給料が良かったのと待遇や環境も先に就業したところよりも良かったので、頑張って続けました。
手取りで残業代込みで25万程度の収入があり、一人暮らしも可能だと思っていました。
仕事をするうえで車に乗れたほうが業務上も通勤上も良かったため、私はペーパードライバー向けの研修に自主的に通い始めます。
研修後に、元夫に「車の運転をしたいので同乗して欲しい」と伝え、何回かドライブに付き合ってもらい、車の運転の独り立ちをします。

離婚に向けて動き出す 続き

元夫は相変わらず仕事を転々とし、貯金もない状況でした。それでも私は家事を続けていました。元夫の臭いが生理的にダメになっていたので洗濯をこまめにしたり、食費がかからないようご飯の支度をしたりしていました。食事に関しては「お弁当代」として数千円を徴収してました。
元夫とは話し合いを何回も重ねました。元夫の気持ちや行動がかわるかもしれないと思っていたのですが、30歳の自分の誕生日の時に「30歳までには子どもが欲しかった」という感情がこみあげてきて、離婚をしていない現実を激しく悔やみました。
私は少し遅い自分への誕生日のプレゼントとして離婚しようと決意します。
転職して半年が過ぎ、試用期間も過ぎ、運転の独り立ちもでき、生活力の自信もついていたので「離婚をしたい」と伝えます。
元夫は、自分より年下で元生徒であり、寿退社してアルバイトをしてきた私が一人で生活できるとは思っていなかったようで最初は本気にしませんでした。
「子どもが欲しいこと」「収入がなくては困ること」「夫婦生活がないことが寂しい」を伝えると、「子どもはいつかと考えているし、収入はそのうちうまくいくし、夫婦生活に関してはしたいなら他の人としてもいいから家事はして欲しい」いう返答でした。
とんでもない答えなのですが、「子どもはいつかと考えている」という言葉に後ろ髪をひかれました。また、「引っ越すから出て行って欲しい」と伝えたのですが、私の転居先が決まってもなかなか元夫が一人暮らしできる仕事が見つからず(今思うと探していなかっただけ)、元夫が引っ越すまで現在の家賃が発生してしまうことになり(元夫に支払い能力がなかったので引き落とし先の私の負担になってしまう)、元夫に「私の引っ越し先に来る? もう一度やり直せるかお互い考えてみる?」と提案をしてしまいます。
なんて優柔不断なんでしょう。さらには荷物の整理ができない元夫に代わって私が彼のものを処分もしました。(フリマアプリで売ったり、譲ったり、自分で解体して捨てたりしました)
少しでも節約するために、洗濯機と冷蔵庫以外は新居に自分たちで運びました。(ほとんど私一人で元夫の車を借りて運びました)ちなみに、冷蔵庫と洗濯機(ドラム式)だけで30,000円の運搬費用がかかりました。
元夫に再び一緒に暮らす条件として、賃料など生活費の折半を提案し、承諾をもらいます。

また、引っ越し先にはエアコンがなかったり、新調するものにいくらか費用がかかってしまうため、父から引っ越し費用の支援をもらいました。(このことで、より自立したい気持ちも強くなりましたし、ここでダメなら離婚しようと思いました

そして、私が世帯主となった、今までの家の半分ほどの面積の新居に二人暮らしを始めます。
今思うと、この時点で自分で生計を立てるつもりのない元夫はヒモだったと思います。
この新居で半年間元夫と生活し、嫌というほど元夫の本性を知ることになり、離婚することとなります。

ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回に続きます。